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2024.08.07

菊川・幸町アーカイブス #03


地域にお住まいの方にお話を聞くお茶会シリーズ第3回は、長年に渡り幸町新二会の町会長を務められた山科さんに、三口新線開通前後の商店街の様子についてお聞きしました。

※三口新線開通前夜のお話は#01#02をご覧ください。

商店街にあった街路灯の写真(平成29年)

細川:今日もお集まりいただきありがとうございます。今回はこの前も参加してもらった私の同級生の山本さんと、町内会の畳屋さんで、もう6代目になる山科さんにお越しいただきました。ずっと町会長を務められて、この町会のお世話をされてきた方です。

山科:山科です。いろんなことをしてきたつもりねんけど、だんだん忘れるでしょ。話しながら少しずつ思い出していければ。

昔の地図を見ていたら新竪という名前がついていたのに気がついて調べはじめました。前回お話を聞いた時に、昔は商店街に活気があって、新竪3丁目側のバス停から笠舞の方に抜けるメインストリートだったということをはじめて知りました。

山科:子供の頃は三口新線って言ったんですが、その大通りができて町が分断されました。人通りが変わって、ショッピングモールができて、商店街の人通りが変わってきて。昔は商店街に街灯路も10何本かあったんです。

街灯があったんですか。

山科:そう、水銀灯が11本かな。あったんですけど、根元の方が腐ってたし、ペンキで塗り替える費用がものすごく莫大にかかるんです。それで、たまたま金沢市が全部無料でLEDに変えましょうと、そのような話があったもんで、ほんなら切ってなくしましょうと、LEDに変えてもらったんです。

細川:水銀灯って、すごく虫寄ってくるんですよすごく。ヤモリとかね。

山科:電気代は金沢市が出すからお金はかからないんですけど、水銀灯の玉がね、高いんです。でね、町会で費用を見ながらやっとってんけども、ちょうどLEDへの入れ替わりで。あれがなかったらまだ直しとったんでしょうね。ペンキ塗ると100万ほどかかるんですよ。

細川:今はそのポールは無いですよね?

山科:跡だけは全部あります。根元から起こしたんじゃなくて切断しましたんで。ほんでも、もう切ってよかったですよ。ガラスの電灯が上から2つほど下がっとったんですけど、あの中に水溜まってましたし、街灯路も腐りかけてきてましたんで。もし万が一こないだみたいに地震あって、歩いとった人にバタンと落ちて怪我したら大変だっただろうから。

街路灯の跡

LEDに変えたのはいつぐらいですか?l

山科:5、6年前かな。2017年くらい。菊川2丁目だけにあった。

細川:ものすいごい明るかったんですよ、水銀灯。

路地の除雪の様子(令和4年)

山科:それと町会長になったら大変なのが雪やった。 2丁目の道路に面した人たちが雪かきをして、この道の雪をどかさんと今度、奥に入れないんです。 それから、道が全部繋がってるから、救急車が入んないんですよ。ここの上に川上幼稚園あるでしょ。今まではそんなことなかったけど、今の親御さんみんな子供を乗せて車で来るんですよ。 それで金沢市にこの道路に除雪車入らんかって言っとったんですよ。ここも通学路でしょ。なんとかならないかって言うたら、「わかりました。」これ。返事だけはわかりました。 除雪の順番ちゅうのは、1、2、3、4、5とあるんです。1が大通りで、これが1番最初に開くんです。で、次、2、3、4番とあって、ここら5番目なんです。だからいつまでたっても来ないんですよ。で、来る前に次の雪が降るんです。そうしたらまた1番からやり直し。5番なんていつまでたっても来ないんですよ。 だからなんとかしてくれんかって言い続けて、川上幼稚園の方も言われたんじゃないかなと思うんですけど、この通りが3番になったんです。

金沢市の除雪作業が入った幸町のメインストリート(平成30年)

細川:でもこの横に入ったとこは全部5番なんで、絶対こないですよ。 みんな手動でやってるもんね。

山科:昔は若い人たくさんいてたから、わーっと集まってやるから早いし、お互いに顔もわかるし、仲も良くなるし。今は人任せになるから、なかなかそういうこともなくなってきとるんじゃないですか。横に入った道の方はね、今もわーっと人いっぱい出るけど。

若い人が減ってきてっていうのは、ここ10年ぐらいですか。

山科:15年ほど前は若い人たくさんいたね。お年寄りの方も元気な人いっぱいいた。 サンパチ(38豪雪)の時は僕らまだ高校の時で、こんな時はもう機械もないし、大変やった。みんな2階から出入りしたもん。

細川:お水も出ないし。ただ、ドブが流れてましたからね。

山科:そう、ここはまだドブがね。この奥の川上幼稚園のお向かいに風呂屋さんがあったんです。それでお風呂屋さんがドブにお湯を流してくれて。

山本:それで雪をドブに放り込むと全部溶けてね。

それはありがたいですね。

細川:今、下水道っていうのは雨水とまた別じゃないですか。だからドブにお湯は流せないから、雪は溶けない。

山科:それでもサンパチの時なんつったら、ドブじゃ全然だめでね。みんなソリに雪積んで、犀川に捨てに行って。

細川:道路に車が走れませんで。 裏の細い道とかは、細い路地がたくさんありますけど、そういうところの除雪は今もご近所さんだけでされています。

細川:とてもみなさん綺麗ですよ。みんなマメに手でやったり、機械使ったり、綺麗ですよ。

山本:もう雪かきのレベルが高いというか、すごい綺麗に雪かきされています。

山科:時節が変わってきて、今年もあんまり降らなかったでしょ。今年の12月にちょっと降りましたけどね。あんまり降らないから。

金沢くらしの博物館で展示されている獅子頭(出典:Discover Kanazawa 金沢魅力発見の旅

山本:山科さんは何年から何年まで町会長されたんですか?

山科:4年かな。その前はずっと副会長していました。

この地域でお祭りはありますか?

山科:石浦神社のお祭りは年に2回あるでしょ。春祭りと秋祭りがある。5月と10月に。春に太鼓行列があって、子供たちが飾り付けしてね。今はこの町会に子供たちが全然いないから、3町会ほど集まってます。で、秋にいつも「獅子飾り」をしとったんです。新竪校下に獅子頭が5つかあったんですよ。

山本:今もあるところはありますよ。

山科:そうですか。ここは新竪2丁目と1丁目と3丁目で持っとった。秋になったら頭を飾らないかんもんで、持ち回りで保管したり飾ったりしとった。獅子頭と、踊る時のでかい布で作ったホロ、それから踊り手の刀とか衣装。

細川:そう、それを1つのお店とか場所を借りて飾るんですよね。年に一回。最近、西茶屋資料館の一角に獅子頭が飾ってあったのを見ましたよ。

山科:ここの町会の獅子頭は、飛梅町の金沢くらしの博物館に預かってもらってるんです。管理できんもんで。

細川:大きいからね。獅子頭。

山科:置くとこないでしょ。他は神社に預かってもらったり、まだしとるとこもあるでしょ。枝町はしとるはずみたいな。毎年3日間だけ、昔からこんなにしなさいって言われとるから、毎年しなきゃならないもんやと思って続けてました。

どのように獅子頭を飾るんですか?

細川:お店とかのガラス窓のある広いところに獅子頭を置いて、ホロを敷いて。で、真ん中にお酒。各町内からお酒が集まってくる。

山科:獅子頭の前には竹も組むんです。その竹も毎年取りに行かなきゃで。竹も最近は切るとこがなくなって、最後にはプラスチックの竹をネットで調べてね。その後ろにお酒と、他にもリンゴやら果物も置いて、終わったらそれを皆さんところへ分けるんです。

山本:何かお祭りらしいことはせずに、ただ飾るだけ。お見せするだけ。

実際に獅子舞を舞ったりはしないんですね。

山科:昔は舞ってたこともあるんです。ところが若い人がたくさんおらんので、できないんです。笛やら太鼓やら。だからだんだんできなくなった。

山本:実際に獅子舞を舞っているところもあります。

山科:みんな町会によって舞が違うんです。ホロもここは赤地のやったはず。柄も違えば、獅子頭の顔も違います。

山本:最後に飾ったのはいつぐらいですか?

山科:確か6〜7年前。私が町会長の時は見ましたよ。3丁目も飾るとこない、2丁目も飾るとこない、1丁目も飾るとこない。飾るとこがなくなって、駐車場借りたりしてたのも借りれなくなって、3町会がどうにもならんってなって、博物館に預かってもらおうと。今は本当にそういうものを置く場所がない。いま一番困っているのが太鼓行列の台。太鼓を乗せる台やね。前置いてたところもだめになって、今はYさんのところに置かせてもらってて。わしが元気な時まで預かってやるって言って。

お寺に設置された太鼓台(平成21年)

太鼓台はどのように使うのですか?

山科:太鼓行列ってのは、おっきい太鼓1個をみんなで運ぶんです。その太鼓を置く台で、3日間お寺に置いてあって、誰でも叩けるんです。

細川:結構大きいですよ。太鼓乗せて、子供たちがその輪の中に入って引っ張るんです。法被着てね。

山科:太鼓は誰か後ろで2人ほど叩く。ところが、今誰も叩かんから あんまり上手じゃない(笑)。

細川:朝からね、太鼓の音がして。お祭りの時期がきたなあって。あとしめ縄も張りましたよね。

山科:私ら子供の頃な。この通りの軒先にずっと一本の長いしめ縄を吊って、散髪屋さんのところから今度回って反対側に行って戻ってくる。そこに紙垂を所々に刺していくんですけど、子供と親でずっとはめて、それやるとお小遣いがもらえて。それからしめ縄の代わりに一件ずつ幕を配っててんけども、それも飾らんがなって。 昔はね、町内だけ太鼓行列回ったりしたこともあって、新竪小学校から石浦神社の前通ってぐるっと回って。

細川:今年もやっとるはずですよ。なんか音がしたから懐かしいと思って。

太鼓行列の頃に出る御輿(平成25年)

昔は太鼓行列が出て、獅子舞があって、軒先にはしめ縄が飾られてて…

細川:正月は加賀鳶もやってましたよね。今も金沢城の方でやってますけど。

山科:昔は行事がたくさんあって、若い人らもたくさんいましたんでね。うん。

細川:夏休みなんか、ラジオ体操もみんなしっかり集まってやってたからね。

山科:だからやっぱ若い人たくさんおるときは、ここの町内も本当に昔は人通りが多くて、土日やったら押し流された。それが三口新線ができたらあっちへ流れてしまって、おかげさんで静かになりましたし、土地の値段もガタンと下がった。 ほんでもそれじゃダメになってしまうちゅって、盆踊り大会したり、色々とみんなでやったんですけど、商店がだんだんなくなりました。私らの30代ぐらいまではやっとったんねえかな。まだ若い上の旦那連中バリバリな人いっぱいいたから、やっぱりやれたんでしょうね。旦那衆が集まって旅行しましたもん。お金積んで、おいどこ行くぞっちゅって。1年にいっぺんね。

細川:前回お話を聞いた、村山さんをはじめ、ね(笑)。

山科:村山さんですらまだ若いんやぞ。まだその上に豪傑がいっぱいいましたんで。みんな片町行ってね。

旦那衆っていうのは、個人でお店をされている方ですか?

山本:そうそう、全部個人の。その中の豪傑な方たちが遊びをしたりとか、町のお祭りを仕切ったりとか、それこそ消防団したり。

山科:私は消防団入らなくて、ここの青年団入ったんです。

青年団はどのような団体ですか?

山科:町内の若い人で集まって勉強会したり、相撲大会もあったし、いろんなスポーツ大会もあった。若い人の集まりだから、女の人がたくさん入ってくると男が増える(笑)。多い時には100人以上いたんじゃないですか。ところが結婚した人は少ないんやわ、2組くらい。今で言うサークル。昔はサークルなんてないですから、青年団入れさせてもらっていろんな人と知り合って。

旦那衆と青年団はまた違うんですね。

山科:旦那衆はもっと独立した遊び仲間。麻雀したり、呑みに行ったりする仲間なんやね。昔の。 暗がり坂なんかも有名やね。久保市神社の脇に、花街に抜ける階段があって、昔は尾張町の旦那衆が人目を避けて茶屋街に通った。今はあんまりそんな世の中やないけどね。

青年団っていうのは、何歳から何歳までみたいな条件とかあったんですか?

山科:一応あったみたいけども、大体18から25ぐらいまで。

山本:今はもうスマホで人と出会って、集まりとかもありますからね。そういう男女の交際がない代わりですね。

そういった町の中で同年代の方と出会う場所は、今の方が逆に少ないかもしれないですね。

山科:だって自分のうちで働いていたら、女の人なんて会うことないですもん。商売するなら親と話すだけでいい。家族と話すだけで、そういう他人と話すことない世の中でした。だからお祭りなんかは集まりの場所やったし、青年団もね。


獅子頭、太鼓行列、青年団と、どれも素敵なお話ばかり。同時に、スマホの時代に、若い人が減った地域で、どのように人は集まれるのだろうか、とも。次回は商店街や地域の今後についてもお話しを聞きます。

編集 :川本望未 西本耕喜 日比野咲 藤井七星 山本周


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