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2024.02.29

菊川・幸町アーカイブス #01


住宅地図|昭和34年(石川県立図書館蔵)

中心街の徒歩圏内にありながら、静かな住宅街が広がる菊川・幸町エリア。古地図を見ると菊川・幸町エリアの旧町名に新竪町の名が。ひと昔前までは、現在の新竪町商店街の先にも商店が立ち並び、大勢でにぎわう商店街が続いていたそうです。

そこで幸町にお住いの細川さんのご自宅にてお茶会を開き、当時のお話を地元の方に聞くことにしました。

細川 : みなさまお集まりいただきありがとうございます。今日は3人の同級生と、元魚屋さんの村山さんにお越しいただきました。

山本 : 私は細川さんの同級生で、こちらも同じく同級生の西川さん、末岡さんです。

西川 : 西川です。今は畝田の方に住んでますが、最近のことより昔の事の方が思い出せる年齢になったので(笑)少し役に立つのかなと思って来ました。私は百姓町の方に住んでました。

細川 : 百姓町の、えっと。あの床屋さんの近くでしょう。

西川 : 踊りを教えている木牟田さんの隣にずっと、20歳頃までは住んでいました。越田さんの石鹸屋さんのあたりにまずは住んでて。

細川 : 今は道路ができてしまったからね。

本多町と笠舞をつなぐ道路ですか?

村山 : うん、あの大通りができてから、もう、ガラッと変わってしまったからね。

西川 : コナカさんの豆腐屋があって、その近くに住んでて。で、そっからちょっと上の木村質店かな?その近くに引っ越したんです。そのあたりに住んでいました。

創業当時の面影が残る天狗中田本店|大正12年(新竪町公民館創立五十周年記念誌「しんたて」)

末岡 : 私、末岡と言います。ここは新竪町2丁目、私は3丁目の端の方の天狗の本店がありますわね。あの横で10年ほど呉服屋しとったんですけど、今は行政書士の仕事をしていて、住まいは別のところです。

細川 : 天狗の前に広見があったもんね。年末に福引みたいなのがやっていて、当たったら、ガラーンって。

村山 : ほんとの昔、あの角は交番所やってん。

細川 : ああそう!どこの角?

村山 : 今タニグチちゅう。広見のあっこ、交番所があって。そいていっぺん桜橋のほうに移転したやろ。今は菊川に行ってしまったんや。

昭和50年頃/1975年頃の幸町新二会(新竪町公民館創立五十周年記念誌「しんたて」)

昭和25年頃/1950年頃の幸町新二会(新竪町公民館創立五十周年記念誌「しんたて」)

大正14年頃/1925年頃の幸町新二会(新竪町公民館創立五十周年記念誌「しんたて」)

村山 : 村山です。私は細川さんのお隣で魚屋をやってました。

細川 : 大昔ってさ、村山さんのお魚屋さん、東さんの向かいあたりにあったやろ。

村山 : そうや。東さんの前は中村ちゅった。大昔、玉井さんのとこにおってん。

細川 : ああそう!

末岡 : 玉井酢屋さんやね。

村山 : そこにおって、ほいで反対側の、今のお店があるとこに変わってん。

細川 : ああそう、お向かいに変わったんだ!

村山 : 西日が当たっさかい、魚屋やからね。

細川 : ああ、そっかそっか。

村山 : (大正14年の地図を見ながら)ほら、妙願寺の横に村山魚がある。ここにおったんや。ほれがこっちへ移ったんや。数枝っていうブリキ屋さんが引っ越してここへ来たり、新保の菓子屋、氷屋、天狗の肉屋もあったし。中川っていうお茶屋もあったし。芝原酒店。宮田はそのまま布団屋。

細川 : このお煎餅屋さんって?

村山 : なにわの。

細川 : あ、それで今もなにわ小料理っていうの、あのお店。

村山 : そうやそうや。そこの旦那が3丁目のとこに洋服屋さんやったり。引田の八百屋、薬屋、花屋は次島、洋服の仕立てやら。

今に比べてたくさんのお店があったのですね。資料を見ていると昔は鞍月用水に水車があったと書いてありますが、ご存知ですか?

山本 : 油車やね。昭和45、6年まであったんとちゃうん。

細川 : だって幼い頃、記憶にありますよね。

山本 : 今の金澤町家研究会の、そのちょうど裏に水車があったんですよ。鞍月用水に面してお米屋さんもあった。

細川 : 粉でもひいてたんかね。

村山 : 米買っとったね。

細川 : 何か回ってるのすごく覚えてるもん。

油車の名前の発祥となる水車ってことですかね。

山本 : 水車を設けて菜種油を絞っていたって標柱にも書いてあったような。あそこに石の標柱があるよね、町の言われが書いてあって。

金沢が旧町名復活を全国に先駆けてやって、それを記念して作った標柱ですね。

末岡 : 百姓町はなんて言われがあるん。

西川 : 百姓町はやっぱり百姓が多かったんじゃない(笑)

村山 : あのー、すぐ後ろは本多町って言って、ずっと全部田んぼやったわ。で、百姓の連中が百姓町って名乗ったんや。

細川 : 町のいわれを調べとったんですけど、いつ金沢市となったかっていうこともずっとストーリーとなって出てるんです。そこに金沢市の中にも区分けされとって、いろんな職業の人が固まって、大工町とか名付けられたみたいで。

延宝年間金沢城下図(金沢市立玉川図書館近世史料館所蔵文書データベース)
白枠は現在の菊川幸町エリア。白枠外の緑線は現新竪町3丁目商店街。白枠内の緑線は旧新竪町1,2丁目商店街。

細川 : 1823年、文政6年に新竪町を1丁目2丁目3丁目に分けていますって書いてます。その前はずっと2筋の川が流れとって、1616年犀川の流れを整備して、その一帯がずっと原っぱになっていて、そこを広範囲に埋め立てたりして、河原ができて、竪河原町ができたんですね。その後に竪町ができて、新竪町ができてたんやね。

山本 : 堤防を作ったんじゃないかと思うんだよね。おそらく川を、広い川をグーっと狭めて堤防を作って、そしてそこを詰めるようにして今の水溜町っていうところにこうなんか溜池を作って水の調整をして。

村山 : そこもあれや、地面掘ったらじゃっけつや。

山本 : そうそう、じゃっけつや。だから地盤はバンバンやね。河原やったから。

細川 : じゃっけつっていうのは?

山本 : 全部砕石の塊ってことや。地震でもきっと強いと思う。

村山 : 結構下はきついわ。で、いまだに隣は井戸あがっとるやろ?

細川 : 川上さんの豆腐屋さん?

村山 : うん。うちらもみんな井戸やってん。ポンプであげたりしとってん。

山本 : 水も豊富やもんね。だから豆腐屋さんいっぱいあったんかもしれん。こなかの豆腐屋とか、大屋豆腐店とかね。

村山 : こなかのじいちゃんもまだおるわ。97かな。

山本 : わあ、すごいね。百姓町の。

細川 : 1690年、文政6年に新竪町から火が出て、900軒というお家が焼けた。そこで初めて新竪町っていう町名が、こういう資料の中に出てきましたって書いてある。新竪町って名前が一般に知られるようになった。

末岡 : 新竪町の歴史、これ誰作ったんかな?(笑)

細川 : 末岡さんのお父さんやろ。

末岡 : そんなん知らんって!

細川 : 知っとるって!このページにこうやって書いとるもん。

末岡 : でも、取りまとめやろ。編集委員のこれ。文章書いたのは誰かってわからん。

西川 : 末岡なんて読むの?

末岡 : 尚(ひさし)。

新竪町公民館・創立五十周年記念誌・編集委員。左から5番目が末岡尚さん。(新竪町公民館創立五十周年記念誌「しんたて」)

山本 : 尚さん、市会議員もしたし、新竪町の軍団長もなってたよな?

末岡 : そうや、やってた。

細川 : 商店街のご重鎮やもんね。

末岡 : そんな商店街らしい商店街じゃなかったやろう。竪町がすごかったんで、3丁目はそんなたいした店はなかったと思うよ(笑)

細川 : でもものすんごい努力してたよ。スタンプ出したり地域活性化のための。

末岡 : 自分の仕事せんとこんなことばっかしとった(笑)

山本 : 呉服屋の仕事はお母さんしとったん?

末岡 : ほとんどそうや。親父仕事してるところ見たことない。片町行っとるだけや(笑)

山本 : 消防もやってない?

末岡 : 消防の軍団長もやってたし、町会長とかいろんなことやっとった。

細川 : ほらここに載ってますよ、これ。『新竪町あれこれ』。「私は新竪町で昭和26年に移転してきて2年目に町会役員に任命され、以後30数年にわたり町のいろいろな行事に参加させていただきました。」 すごいですね。

若宮〜涌波線開通|昭和46年(新竪町公民館創立五十周年記念誌「しんたて」)

細川 : 若宮涌波線ができてから町の中が思ったよりも変わってしまって、それで大変苦労したってことも書かれています。

山本 : 今から50年ほど前、1970年ぐらいやな。道路ができて。

細川 : 「昭和45年都市計画事業で若宮涌波線の工事が開始された。」

山本 : それで町が全部分断されて。新竪町3丁目も天狗の中田の前で分断されて。

末岡 : そうそう、分断されたんや。天狗の道路の向こう、うどん屋さんも実は新竪町3丁目や。3丁目の人らで町会のお金で融雪装置つけるときも可哀想やった。道路の向かい側の人らはつけられんで。

開通前の金沢市域図|大正13年(新竪町公民館創立五十周年記念誌「しんたて」)

新竪町校下旧町名図|昭和27年(新竪町公民館創立五十周年記念誌「しんたて」)

村山 : 広坂の小学校の前からまっすぐ来て、ほんで桜橋に抜けてく道があるわい。あこの道も拡張されたんや。昔は曲がってたんや。狭い道が。中署があるあこらをみんな家壊して道路にした。

山本 : 今でもあこにイチョウあの木があるところ。

村山 : あれ切ったらいかん木。学校の大事な木で、あの木をどうしても切れんて。あそこからこう、蛇行して石浦神社の前まで細い道があったんや。

本多通りにある3本の木(金沢散歩金沢九十九景 5景

山本 : 同じ時分に若宮線の通りも、拡張しとったんかな。

村山 : いや、その前やわ。

細川 : それは全くイメージのできない世界やね、私達にとっては。

山本 : 鱗町から広坂に抜ける道は、その前に拡張されたってことやね。

村山 : だから僕ら子供の頃は、あの、まあ細い道やったわい。細い道で、兼六園が遊び場やったもん。

− 菊川・幸町アーカイブス#02に続く


編集 :川本望未 西本耕喜 日比野咲 藤井七星 山本周


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